長崎地方裁判所佐世保支部 昭和59年(ワ)191号 判決 1989年7月17日
原告
川口照忠
右訴訟代理人弁護士
熊谷悟郎
被告
佐世保重工業株式会社
右代表者代表取締役
長谷川隆太郎
右訴訟代理人弁護士
和田良一
同
美勢晃一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告が被告に対し、労働契約上の地位を有することを確認する。
2 被告は原告に対し、昭和五八年五月二七日以降昭和五九年三月末日まで一か月金一九万一〇五三円、昭和五九年四月一日以降昭和六一年三月末日まで一か月金一九万七二九三円、昭和六一年四月一日以降毎月二五日限り一か月金二〇万五〇〇〇円の各割合による金員を支払え。
3 被告は原告に対し、金四〇二万一三六〇円を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨。
2 仮執行免脱宣言。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、昭和四一年四月一日造船業等を営む被告会社との間で、雇用契約を締結し、以来被告会社佐世保造船所造船部船殻課組立係として稼働してきた。
2 被告会社は、昭和五八年五月二六日原告を解雇したとして、原告が被告会社に対し、労働契約上の地位を有することを争っている。
3 原告の昭和五八年五月二六日現在の賃金月額は金一九万一〇五三円、昭和五九年四月一日現在の賃金月額は金一九万七二九三円、昭和六一年四月一日現在の賃金月額は金二〇万五〇〇〇円であり、また昭和五八年から昭和六三年までの間の一時金の金額は左記のとおりである。
記
(1) 昭和五八年夏期 三五万八二九〇円
(2) 昭和五八年冬期 三六万六四七〇円
(3) 昭和五九年夏期 三八万四〇一〇円
(4) 昭和五九年冬期 三八万七六六〇円
(5) 昭和六〇年夏期 三八万七九四〇円
(6) 昭和六〇年冬期 三九万三五八〇円
(7) 昭和六一年夏期 三三万四四六〇円
(8) 昭和六一年冬期 三四万〇九六〇円
(9) 昭和六二年夏期 二三万四四六〇円
(10) 昭和六二年冬期 二三万三五三〇円
(11) 昭和六三年夏期 三〇万円
(12) 昭和六三年冬期 三〇万円
よって、原告は被告に対し、原告が労働契約上の地位を有することの確認を求めるとともに、賃金及び一時金として、昭和五八年五月二七日以降昭和五九年三月末日までは一か月金一九万一〇五三円の、昭和五九年四月一日以降昭和六一年三月末日までは一か月金一九万七二九三円の、昭和六一年四月一日以降は毎月二五日限り一か月金二〇万五〇〇〇円の各割合による金員及び金四〇二万一三六〇円の支払を求める。
二 請求の原因に対する答弁
請求原因事実は、いずれも認める。
三 抗弁
被告会社は昭和五八年五月二六日原告に対し、労働協約四五条六号、就業規則四四条六号の「やむをえない事業上の都合による解雇」の規定に基づき、解雇の意思表示をした。
四 抗弁に対する答弁
抗弁事実は、認める。
五 再抗弁
1 被告会社が原告に対してした解雇の意思表示は、原告が被告会社の出向命令を拒否したことを理由としてなしたものであるが、右出向命令は正当性を欠くものであり、また原告には右出向命令を拒否するについて正当な理由があったから、右の解雇の意思表示は解雇権の濫用にあたり、無効である。
(1) 出向命令の正当性の欠如
被告会社は、昭和五八年三月、五八六名の余剰人員を社内稼働人員から削減するための方策として、被告会社が属するいわゆる来島グループの造船各社及び造船関連会社に右人員を出向させることを計画し(以下「本件出向計画」という。)、実施し、同年五月九日原告に対し、山口県宇部市港町所在の訴外城南造船株式会社に出向させる旨の内示をし、原告の内諾がないまま、同月一六日出向命令を発令し、原告が右命令を拒否したことを理由として、同月二六日解雇の意思表示をした。
しかし、本件出向計画の前提となった余剰人員五八六名という数字には、多大の疑問がある。すなわち、昭和五七年度の被告会社の総生産時間である六八〇万時間を生産人員数三四三八名で除した数値で昭和五八年度の計画生産時間である六〇四万時間を除すると、三〇五三・八名の生産人員が必要であり、対応する間接生産人員数を加算しても余剰人員数は四六四名にしかならず、また昭和五七年度の生産時間六八〇万時間に含まれていた遊休時間二七万五〇〇〇時間を除外して同様の計算をすると、余剰人員数は三〇九名しかならず、さらに残留生産人員について予定されている月間残業時間である二〇時間を零とすれば、余剰人員は二六三名ないし零となる。そしてさらに定年退職者や自然退職者の存在により、昭和五八年度の生産人員は二四五名が減少したことも合わせ考えると、五八六名全員について、解雇権の発動を背景としてあくまでも出向を強制しようとした本件出向計画は客観的合理性がなかったものというべきである。
さらに被告会社の経営状態をみると、被告会社は本件出向計画立案当時から黒字経営を続けていたもので、本件出向計画は、不況下で健全経営を維持することを目的としたものであり、本件出向計画を全体として実施しなければ、被告会社の経営が行き詰り、企業の維持、存続が不可能となるような実情にはなかった。すなわち被告会社の昭和五七年三月三一日の決算報告によれば、経常利益八〇億円、当期利益四〇億三八〇〇万円であり、昭和五八年四月から同年九月までの中間決算においては、経常利益二〇億一六〇〇万円、中間利益一三億二一〇〇万円を計上して黒字経営となっている。このような経営状態にある被告会社が、当初の五八六名の出向計画を縮小、変更すれば倒産の危機に陥るということはありえないことは明らかであり、本件出向計画の策定、実施はそれ自体正当性を欠くものである。
そして右のとおり本件出向計画は、企業経営の悪化による倒産を避けるための人員整理を目的としたものではなく、むしろ経営状態の一層の好転を目指して立てられたものであったから、出向対象者の選定にあたっては、その選定の基準は、人員整理における被解雇者の選定の基準とは異なり、当人の個人的な家庭や生活の実情を幅広く考慮したものであるべきで、出向対象者に選定されることによって、当人とその家族の生活が破錠することが明らかな場合にまで、出向命令の正当性を肯定することは、人員整理における解雇の場合以上に労働者を窮地に追込むものであって、到底許されるべきではない。
(2) 原告の出向命令拒否の正当な理由
原告(昭和一七年五月一日生)は独身で、実母の訴外川口サミ(明治三八年七月二五日生)とともに肩書住所で生活している。同女は昭和四七年までは失対事業で稼働し、その後は無職である。同女には以前から高血圧症の持病があったが、昭和五六年一月初旬ころから血便が出るようになり、同月二二日自宅で卒倒して入院し、一時危篤状態に陥ったが、生命をとりとめ、同年七月三一日退院した。このとき以来同女は高血圧症、脳血管障害による老人性痴呆症の症状が発現し、進行していった。その後小康状態を保っていたが、翌五七年二月一五日再び自宅の風呂場で卒倒し、自宅療養を続けたが、症状が悪化して寝返りもうてず、上半身を病床から起こすこともできない状態になったうえ、再び血便が出るようになったため、原告の手に負えず、同月二二日再度入院した。同年九月四日に退院したが、老人性痴呆症の症状は一層昂進し、昭和五八年はじめから炊事のための火を使用させることが危険となり、原告が食事の世話や洗濯をしなければならないこととなって、原告は被告会社において残業ができなくなった。同女は、ほかに貧血、下血、肝障害、冠状動脈硬化症、パーキンソン氏病、骨粗鬆症、変形性脊椎症、右肩甲骨関節炎等の多様な疾病に罹患しており、現在一応小康状態を保っているが、いつまた卒倒し、入院しなければならなくなるかわからない極めて不安定な状態にあり、また、老人性痴呆症のため、著しい記銘力、判断力の低下がみられ、炊事のためガスコンロに点火したまま放置して火災が発生しそうになったりしたことがあるほか、大小便の失禁がある、歩行に支障があるなどの状況がある。原告が被告会社に出勤している間は、隣家の老女二名が献身的に世話をしてくれている。
サミは、現在の生活環境に強く執着し、病院に入院することや老人施設に入所すること及び福岡県遠賀郡芦屋町に居住する原告の実姉方に転居することを極度に嫌っている。右実姉は航空自衛官の夫とともに生活しているが、住居が狭く、サミの同居は物理的にも困難であるうえ、実姉の夫の理解も得られない状況にあり、サミを長期間実姉のもとに同居させることはできない実情にある。
したがって、原告が単身で出向先に赴任し、サミを自宅に独居させること及び同女を出向先に転居させることは、いずれも同女の病状の悪化をもたらし、その生命、身体を著しい危険にさらす結果となることは明白であった。
しかも原告が出向を命じられた前記訴外城南造船株式会社の社宅の生活環境は、同女のような疾病を持つ老人にとっては極めて危険なものである。すなわち、同社構内にある原告とサミが入居する予定の社員寮は、作業場に近接しており、作業による騒音、振動、粉塵にさらされている。同社では、深夜に及ぶ作業が頻繁に行なわれ、潮の状況によっては、深夜あるいは明け方に修繕のための船舶の上架作業が行われ、昼間も研磨用グラインダーや鉄ハンマーの使用による騒音、ウインチやクレーンの作動に伴う騒音が日常的に継続して発生している。そのうえ廃油を焼却したり、船舶のゴム被覆をバーナーで燃焼させたりする作業によって発生する粉塵やサンドブラストによる粉塵は造船所全体を覆っている状況にある。
さらに右社員寮は、産業道路に面しており、午前七時四〇分頃と午後零時四五分頃の二回にわたって宇部市の清掃車約五〇台が二回往復するほか、向い側にある製鋼所に出入りする大型トレーラーや砂利、セメントを積載した大型トラックの往来が頻繁であり、右社員寮に大きな振動と騒音を与え、多量の粉塵をまきちらし、健康人に対しても睡眠を妨げる状況にある。
このような場所にサミを転居させれば、不眠とストレスの蓄積によってその症状が急速に増悪することとなり、場合によっては、その生命にも重大な危険をもたらすことは明らかである。
原告が出向命令を拒否せざるを得なかった事情は、右のとおりであるが、労働協約四一条八号、就業規則六九条八号の「異動または出向を命じられた者が、正当な理由がなくこれを拒んだときは懲戒解雇に処する」との規定及び就業規則三九条三項の「社員は正当な理由がなければ出向を拒むことができない。」との規定に照らすと、正当な理由がある場合には出向命令を拒否しうることは明らかである。そして被告会社は、出向拒否の正当な理由の存否については、本人について言えば、病気中で当面回復の目途が立たない人、家族関係で言えば、家族の人が本人と一緒でなければならないのであるが、動させない状況にある人、出向先で危険な状態が予想される人、妻がいないで小さな子供がいる人で、佐世保では親類の人が面倒をみてくれても、出向先ではそれが期待できない事情をかかえている人という判断基準を設けていたもので、原告に存する事情が右の基準に明らかに該当することも合わせ考えると、原告が本件出向命令を拒否したことには正当な理由があったというべきである。
2 被告会社が原告に対してした解雇の意思表示は、その手続に重大な瑕疵があり、無効である。
労働協約一一四条四号及び一一五条一号(3)には、労使協議会に付議する事項として、やむを得ない事業上の都合による組合員の解雇の場合の員数、基準、条件を規定し、同一一六条及び一一七条には労使協議会の開催手続及び会議の成立と決議について規定している。
被告会社の原告に対する解雇の意思表示は、右労働協約に定める手続を経ることなくなしたもので、右意思表示は労働協約の規範的効力に照らし、当然に無効というべきである。
六 再抗弁に対する答弁
1 再抗弁の1の事実のうち、被告会社が原告に対してした解雇の意思表示は、被告会社の出向命令を原告が拒否したことを理由とするものであることならびに労働協約及び就業規則に原告主張のとおりの規定があることは認め、その余は、争う。
(1) 出向命令の正当性
我が国の造船業界は、昭和五三年に深刻な不況に直面し、被告会社は累積負債二一四億円をかかえて事実上倒産状態に陥ったが、経営者が更迭し、再建に着手した結果、たまたま昭和五六年、五七年に若干の好況に見舞われたこともあって、被告会社は負債を返済し、一応危機状態を脱することができた。しかし昭和五八年当時は、内部留保は四一億円に過ぎず、老朽化した設備に対する投資の余力もなく、また昭和五二年以来見送ってきた株式配当もできない状況にあったうえ、新進工業国の造船業への進出や船舶修理の手控え傾向などのため、昭和五八年度は前年に比して三〇パーセントの工事量の減少が見込まれた。
被告会社は、昭和五八年度の生産計画として、前年度の計画と実績、利益計画及び造船業界の景況を勘案して、年間工事量を約六〇四万生産時間と定め、右工事量を消化するに必要な直接生産人員を二九五四名と算定し、これと昭和五七年一二月一日現在の現存人員三四三八名との差の四八四名とこれに見合う間接生産人員一〇二名の合計五八六名を削減する計画をたてた。そして右余剰人員の削減の方法としては、被告会社は昭和五三年に一六〇〇名をこえる人員の希望退職を実施したところであり、同年の経営危機以降被告会社はいわゆる来島グループの一員として同グループ内各社と協力関係にあったところから、余剰人員の削減を右グループ内各社への出向という方法によって行なうこととして本件出向計画を策定し、昭和五八年三月三日付で労使間協定を締結し、右計画を実施した。
出向者の選定にあたっては、技能、体力が優れ、日常の勤務成績、勤務態度及び勤怠の状況が優れている者を残留させるとともに、出向対象者から除外すべき者として、本人の健康に問題のある者、同居すべき家族の中に出向先に移動ができない障害者や病人等をかかえている者及び移動が可能でも出向先で健康上の危険性が高い者という基準を定めた。
被告会社は、昭和五八年五月一六日付で原告を訴外城南造船株式会社に出向させることとし、その旨同年同月九日原告に内示した。原告が出向者に選定されるに至ったのは、原告の次のような勤務状況によるものであり、残留職場の基幹要員としては不適当として出向の対象となったものである。
原告は昭和五四年頃から欠勤が多くなり、年間二〇日付与されている年次休暇を年度初めの数か月で消化し、その後も欠勤するという勤怠状況を例年繰り返してきた。また原告は昭和五三年頃から残業に協力しないようになり、昭和五六年以降はほとんど残業に従事しなかった。日常の生産行動においても積極性や業務遂行に対する責任感を欠き、その職歴年数から期待される指導性の発揮や、生産向上の意識もみられず、かえって職場の秩序や人の和に悪影響を及ぼす行動があり、昭和五八年二月における原告の考課は、五段階中最下位で、係全員の相対評価では下位約一〇パーセントの者に対してなされる評価がなされていたが、原告が属していた造船部船殻課組立係においては、人員の二〇パーセントにあたる五〇名を出向により削減することとし、出向の内示を受けた五〇名のうち、内示段階で四名が退職し、四六名に対して出向命令を発した。
以上のとおり、被告会社が本件出向計画を策定して実施し、原告に対して出向命令を発令するに至った経過には、これを不当とすべき点は存しない。
(2) 原告の出向命令拒否の正当な理由の欠如
原告が出向命令を拒否した理由は、実母の訴外川口サミが七八才の高齢であり、かつ昭和五六年及び五七年に長期の入院加療を受けたばかりで、病弱であり、出向先に赴くことが不可能であるということであった。
しかし当時同女には、高血圧症及び骨粗鬆症等の老人性疾患が認められ、その結果日常生活において若干の痴呆症状が現われていたことは事実であるが、原告が毎日同女を独りにしたまま約一一時間家を離れて被告会社に通勤しているにもかかわらず、なんらかの事故が発生したことがないことからも明らかなとおり、同女の疾患は出向先に移動することができない程重篤な状態のものではなかった。また原告には姉夫婦があり、同女の介護を委ねることも可能であった。
原告は、後日になって、出向先の住居環境が劣悪であり、病弱の同女が居住に耐えるものではなかったと主張するに至った。しかし訴外城南造船株式会社の構内の社宅には、造船所長や従業員家族も居住しているうえ、出向者は必ずしも造船所構内の社宅に居住することを義務づけられていたわけではなく、被告会社も広く市営住宅等の住居の斡旋をしていたから、造船所構内の環境を云々するのであれば、他に住居を求めることも可能であった。
右のとおり、原告が母サミを帯同して出向先に赴いたとしても、差し迫った危険があるとは認められず、出向先で同女の健康状態になんらかの危険が発生するとも考えられず、原告の出向拒否の理由は、前記出向除外基準に該当しないものであり、原告の出向拒否は正当な理由を欠くものであり、本件出向計画の実施によって多数の従業員が負担し、受忍した不利益と対比し、原告に対し特段の出向除外をすべき事情はなかったものである。
2 再抗弁の2の事実のうち、労働協約に原告主張のとおりの規定があることは認め、右規定の適用範囲に関する主張は争う。
労働協約一一四条八号は、四五条四号、五号及び八号による解雇を労使協議会の付議事項と規定しているが、同条六号による解雇を付議事項とは規定していない。労働協約一一四条四号は、「やむを得ない事業上の都合による組合員の解雇の場合の員数、基準、条件」を労使協議会の付議事項と規定しているが、これは人員整理を実施する場合に整理人員数、整理基準及び整理の条件について労働組合と協議すべきことを定めたもので、整理解雇ではない原告に対する解雇については、同規定の適用はない。
被告会社は、原告の解雇については、昭和五八年五月二五日労働組合との間で労務委員会を開催し、原告の解雇を付議したところ、労働組合は原告の行為が被告会社の現在の経営状況のもとでは解雇に相当することを認め、これに同意した。右の付議は、労働協約一一四条四号によりなしたものではなく、同条一〇号、四二条により、「賞罰に関する諮問事項」として付議したものである。
したがって原告の解雇に関する手続に労働協約不遵守の瑕疵はない。
第三証拠(略)
理由
一 原告主張の請求原因事実及び被告主張の抗弁事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 再抗弁の1の(1)の主張事実について
再抗弁の1の(1)の主張事実のうち、被告会社が原告に対してした解雇の意思表示は、原告が被告会社の出向命令を拒否したことを理由とするものであったことは、当事者間に争いがない。
(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告会社は昭和五八年一月二六日、昭和五八年度の工事量に見合う生産時間を昭和五七年度中の生産時間六八〇万時間に対し六〇四万二〇〇〇時間とし、これに対応する生産人員を二九五四名と設定し、昭和五七年一二月一日現在における現有生産人員三四三八名との差の四八四名及び間接生産人員一〇二名の合計五八六名を被告会社が属する来島グループ内の企業に出向させる本件出向計画を策定して被告会社労働組合に申し入れ、同年三月三日出向に関する協定が成立した。
(2) 右の出向に関する協定の概要は、出向期間は原則として二年間とする、出向者は被告会社との雇用契約上の地位を維持する、賃金、一時金、昇給、進級、年次有給休暇は被告会社の定めによる、出向期間は勤続年数に通算する、出向期間中月額二万五〇〇〇円の出向手当、月額五〇〇〇円の別居手当を支給する、出向のために必要な社宅、寮、宿舎は被告会社が用意するというものであった。
(3) 被告会社は本件出向計画を昭和五八年三月一一日、同年五月一六日、同年七月八日の三次に分けて実施し、原告に対し、同年五月九日山口県宇部市港町所在の訴外城南造船株式会社への出向を内示し、原告の内諾がないまま同月一六日出向命令を発令した。
原告は、被告会社が本件出向計画の策定にあたって前提とした余剰人員五八六名という数字は、昭和五七年度中の総生産時間数、遊休時間数を考慮し、あるいは昭和五八年度に予定された残業時間の解消をすれば、その必要性を欠くに至るものであると主張するけれども、右認定の、本件出向計画の策定にあたって被告会社が設定した昭和五八年度の生産時間六〇四万二〇〇〇時間を生産人員数二九五四名で除すると一人あたりの年間生産時間は二〇四五時間となり、右数値で昭和五七年度中の生産時間である六八〇万時間を除すると三三二五名となり、昭和五七年一二月一日現在における被告会社の生産人員数三四三八名に近い数字となるうえ、(証拠略)によれば、昭和五七年度中における被告会社の生産人員数が年度内を通じて三四三八名であったものではないことが認められること及び残業時間をふやせば工費が下がり、低船価時代に対応することができる半面、雇用人員数は減少し、残業時間を少なくすれば工費は上がるが、雇用人員数は増加するという関係にあるところ、その調和点として年間の一人あたりの残業時間を二〇時間と設定したものであることが認められることを合わせ考えると、原告の右主張はにわかに肯認し難い。
次に被告会社が本件出向計画の策定及び実施にあたって、退職者の存在を考慮しなかったことを認めるに足る証拠はなく、かえって(証拠略)によれば、被告会社は本件出向計画の実施にあたり、出向内示日までに退職した者の数を前記五八六名から減員し、結局四七七名に対して出向の内示をしたことが認められる。
次に原告は、本件出向計画は、被告会社が不況下で健全経営を維持し、経営状態の一層の好転を目指して策定したものであることに照らし、原告を出向者に選定したことには、正当性がないと主張するけれども、右主張を肯認するに足る証拠はなく、かえって(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(1) 昭和五八年二月二日運輸大臣がした諮問に対し、海運造船合理化審議会は同年三月二三日、我が国造船業は一連の不況対策と海運市況の好転等が相まって先の不況から徐々に回復の兆しをみせていたが、その後第二次石油危機を契機とする世界経済の停滞、省エネルギーの一層の進展、第三造船諸国の台頭により、昭和五六年度後半以降造船市況は急速に冷え込み、再び受注競争の激化、経営の不安定化等の事態に陥ることが強く懸念される状況となっているとし、我が国の船舶建造量は下降し、昭和六〇年に現有設備能力の五〇パーセントの水準まで落込み、以後漸次回復に向かうことが予測されるとの意見を答申した。
(2) 同年四月一二日運輸省船舶局は、総トン数一万トン以上の船舶を建造しうる設備を有する企業に対し、操業度を昭和五六年度を基準として昭和五八年度は平均七四パーセント、昭和五九年度は平均六八パーセントに調整するよう勧告し、勧告を受けた者は各年度の操業計画書を提出し、実施状況の確認のため生産状況報告書等を提出することを要請し、被告会社に対しても右勧告及び要請がなされた。
(3) 被告会社における原告の勤務成績は、昭和五七年一一月現在及び昭和五八年二月現在において、業務達成度、改善工夫、理解・判断・表現・折衝、職場規律、協働性、積極性・責任感という観察項目のいずれについても五段階中最下位の評定ランクの評価を受けた。
(4) 原告が所属していた造船部船殻課においては、従業員七四八名の約一七パーセントにあたる一二九名が出向対象者となった。
右の各事実及び前記認定のとおり、本件出向計画は昭和五七年一二月一日現在における被告会社の現有直接生産人員三四三八名の約一四パーセントにあたる四八四名を二年間に限り出向させることを内容とするものであることに照らすと、被告会社が本件出向計画を策定、実施し、原告に対して出向命令を発令した経過に正当性を欠くと認められる点はないというべきである。
三 再抗弁の1の(2)の主張事実について
労働協約四一条八号、就業規則六九条八号に「異動または出向を命じられた者が、正当な理由がなくこれを拒んだときは懲戒解雇に処する。」との規定があり、また就業規則三九条三項に「社員は正当な理由がなければ出向を拒むことができない。」との規定が存することは、当事者間に争いがない。
(証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告(昭和一七年五月一日生)は昭和四一年四月一日被告会社に入社し、昭和四五年に実姉が嫁いだ後は実母訴外川口サミ(明治三八年七月二五日生)との二人暮らしとなり、佐賀県有田町の町営住宅に居住し、被告会社に通勤していたが、昭和四九年ころ肩書住所に家屋を購入し、母とともに居住して現在に至った。原告には実姉と実弟が各一人あり、昭和五八年五月当時、実姉は福岡県芦屋町に航空自衛隊勤務の夫及び長男(昭和四八年九月五日生)とともに、五階建のアパートの四階ないし五階の六畳と四畳半の二間の住居に居住し、実弟は昭和四六年ころから所在不明で音信がなかった。原告の父は昭和三二年五月一三日死亡した。原告の母サミは、昭和四七年秋ころ以降は無職であり、原告の扶養親族となっている。
(2) 原告の母サミは、昭和五六年一月二二日自宅で卒倒し、同日から同年七月三一日まで佐世保市所在の奥川病院に入院して治療を受けた。傷病名は高血圧症、左手関節炎、消化管出血(悪性腫瘍の疑い)であった。入院当初は危篤状態であり、当時埼玉県入間市に居住していた原告の実姉も呼びよせて看病にあたり、退院後も実姉は同年八月二二日まで滞在してサミの看護にあたった。
同女はその後翌五七年二月一五日自宅の風呂場で卒倒し、同月二二日佐世保中央病院に入院し、市内弓張病院に転院した後同年九月四日退院した。傷病名は急性上気道炎及び腰部捻挫であった。
同女はその後同年九月一五日と二三日に前記奥川病院が改名した杏林病院に通院して骨粗鬆症と変形性脊椎症の傷病名で投薬及び注射の治療を受け、同年一〇月一六日に同病院に通院して右傷病及び慢性胃腸炎と慢性便秘症の傷病名で投薬及び注射の治療を受け、同年一一月二〇日と一二月三〇日に同病院に通院して骨粗鬆症と変形性脊椎症の傷病名で投薬及び注射の治療を受け、昭和五八年二月一一日と三月二一日に同病院に通院して高血圧症と脳血管障害の傷病名で投薬の治療を受け、同年五月七日に同病院に通院して右傷病及び尿路感染症の傷病名で投薬の治療を受けた。
(3) 右病院のサミの診療録には、昭和五八年二月一一日の欄に「自覚症状なし、腰痛なし、歩行状況良好、脈拍数正常・不規則、血圧一五〇/九〇、浮腫なし、冠動脈硬化症、慢性疾患指導管理」、同年三月二一日の欄に「慢性疾患療養指導」、同年五月七日の欄に「尿の停滞」との各記載がある。
(4) 肩書住所の原告方家屋は閑静な住宅地帯にあり、訴外城南造船株式会社の社員療は工場地帯にある。
(5) 被告会社は本件出向計画の実施に際し、訴外城南造船株式会社に家族を帯同して出向する者について、市営住宅借受の申込手続を同訴外会社に依頼し、同訴外会社への第一次の出向者中には家族とともに宇部市営住宅に入居した者があった。
(6) 被告会社は本件出向計画の実施にあたり、出向者に選定すべきでない者として、(イ)家族が本人と一緒でなければならないが、動かせない状況にある者、(ロ)家族に出向先で危険な状態が予測される者という基準を設定した。
なお(証拠略)によれば、右病院の医師の作成にかかる昭和五八年五月一六日付のサミの診断書には、「現在は歩行が十分にできず、食事、排便、排尿等も介助を要する状態です。遠隔地への移住は不可能な状態であることを証明する。」との記載があり、そして(証拠略)によれば、右医師は右診断書を作成した際、サミの診察はせず、診療録に基づいて右診断書を作成した旨昭和五八年九月二七日述べていることが認められるところ、(証拠略)によれば、昭和五八年一月から同年五月までの間の同女の診療の経過を記載した同病院作成の診療録の記載は、右(3)に認定したとおりであって、右診断書の記載に符合する記載は存しないことが認められるから、(証拠略)の記載は、にわかに採用することができない。
右の各事実を総合して考えると、原告の母サミの昭和五八年五月当時における健康状態は、右(6)の(イ)の出向先への移動ができない場合にはあたらず、また同(ロ)の出向先で危険な状態が予測されるという程の状況にあったものとは認め難く、右のいずれの基準にも該当しなかったものと認められる。
そして右認定のとおり、原告には福岡県芦屋町に居住する実姉があり、昭和五六年中には埼玉県入間市の当時の住居地から赴いてきて、数か月にわたり原告の肩書住所に滞在してサミの看護に従事したことがあること、出向期間は二年間であること、被告会社は出向者の住居として公営住宅などの斡旋もしており、また出向手当及び別居手当も支給されることとなっていたことに照らすと、原告としては、実姉に母サミの世話のために暫時の滞在を要請して、まず単身出向先に赴き、訴外城南造船株式会社の社員寮が母サミの住居として適当でない場合には、他所に適当な住居を早急に求めたうえ同女を帯同するというような方策や福岡県芦屋町の、実姉の世話の行き届く範囲内にサミの住居を求めるというような方策等を検討することが、原告に対しても信義則上要請されるところというべきであるが、原告が昭和五八年五月当時これらの方策を検討したことを示す資料もないことを合わせ考えると原告が被告会社の出向命令を拒否したことに正当な理由があったとの原告の主張は、にわかに肯認し難い。
したがって被告会社が原告に対してした解雇の意思表示が解雇権の濫用にあたり無効であるとの原告の再抗弁の1の主張は、採用することができない。
四 再抗弁の2の主張事実について
再抗弁の2の主張事実のうち、労働協約一一四条四号、一一五条一号(3)に、「やむを得ない事業上の都合による組合員の解雇の場合の員数、基準、条件」を労使協議会の付議事項とする旨の規定があることは、当事者間に争いがない。
原告は、被告会社の原告に対する解雇の意思表示は、やむを得ない事業上の都合による解雇であるから、右規定の適用があると主張するけれども、右の労働協約の規定は、その文言に照らし、かつ労働協約一一四条八号と対比すると、整理解雇の場合における整理人員数、整理基準及び整理の条件を労使協議会に付議すべきことを規定したもので、労働協約四五条六号による解雇には適用されないと解するのが相当であり、またかりに右労働協約一一四条四号、一一五条一号(3)は、やむを得ない事業上の都合による解雇であれば、たとえ被解雇者が一名の場合であっても、解雇基準及び解雇の条件を労使協議会の付議事項とするという趣旨の規定であると解したとしても、(証拠略)によれば、被告会社は昭和五八年五月二五日被告会社及び労働組合の委員各五名をもって構成する労務委員会に原告の解雇の理由等を付議したことが認められ、実質的にみて、原告の解雇が労働組合との協議に付議されたことが認められるから、被告会社が原告に対してした解雇の意思表示が、その手続に重大な瑕疵があるとの原告の主張は採用することができない。
五 よって、原告と被告との間の労働契約は、昭和五八年五月二六日被告が原告に対してした解雇の意思表示により終了したもので、被告に対し、労働契約上の地位の確認ならびに賃金及び一時金の支払を求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石井義明 裁判官 岡原剛 裁判官 野村高弘)